イタリアと子育てと、働くこと
2025.07.25
こんにちは!本日はあまりにも弊社代表の独り言になっております。
6月某日、10日間子連れでイタリアに行きました。その時の想いを本日は長々と綴ろうと思います。

大変私事ではありますが、2019~2021年までイタリアに大学院留学をしておりました。コロナ禍すぎて心が折れて卒業を断念し、帰国後すぐに家業の建築会社に入社しました。
事業の一環としてKuwanomi cafeが設立され、その後別会社として法人化しました。
その後、結婚と出産を経て現在に至ります。
こういった経緯の中、「一息付ける空間」のありがたさや人を集めることでできるコミュニティの重要性を基に働いてきました。
ところが、週6フルでお店にシフトインしながら子育ての日々で、心身ともにおかしくなり、急遽イタリアの空気を吸おう!と航空券を予約しました。

「一息つく。」
ただそれだけを目的として行きました。(子連れ海外は無茶苦茶疲れましたが…。)
イタリアの旅を終えた今、別に何とも変わっていません。たかが10日外国にいたからと言って人生観が変わることもありません。
お店と保育園とお家への往復生活です。
だけど一つ思い知らされたことがあります。
それは、
イタリア人たちは人生を楽しんでいるということです。


経済状況でいえば、物価高や賃金の低さ、男女における格差や政治の不安定さなど、どこを切り取っても日本と同じように奮闘している人たちばかりです。
だけど、ちょっとだけの休憩に飲むエスプレッソや皆で囲むテーブルの時間、本当にちょっとした時間を人生のために使っている、そんな印象を改めて受けました。
子どもを連れていても何一つ嫌な顔をせず、むしろ大歓迎を受けました。
すれ違ったイタリア人老夫婦に「この世界は戦争や汚いことにまみれている。だけどこうして世界の宝である子どもを見ることができて本当に嬉しいのよ。おめでとう、そして良くやりました。こんなに素晴らしい子どもを産んでくれて。あなたたち3人を見て声をかけたくなったの。またイタリアに来てね。」と言われました。
どんな生活をしていたら、こんな感受性豊かな言葉を、どこぞのアジア人にかけようと思うのだろう。素敵だな、こんなおばあちゃんになりたいな、そう思いました。
たくさんの友人たちにも会いました。大学では私よりも成績優秀で、学位をいくつも持っているような友人たちですが、月給はあまりにも低く驚きまくりでした。
それでも、ちょっとしたエスプレッソとたくさんのおしゃべり、美味しい食べ物とジョークと笑い。
「こんな遠いところまで、会いに来て一緒にご飯を食べてくれてありがとう。で、次はいつ来るの?子どもが大人になる前に早くまた来なよ。次はもっと長くバカンスを取りなよ。1週間なんてバカンスじゃないよ。」

愉快な友人たちと、その家族、そして美味しいもの。
彼らの人生の楽しみ方はとってもシンプルでとっても温かいものでした。(さすがに彼らのように毎年1か月も仕事を休めませんが!!!!!!!!!!!!!)

最近はSNSで自動で流れてくるいろんな論争を見ることにとても疲れ、それでもお店としてはSNS無しではやっていけないことのジレンマに悩まされていました。
某特大チェーンカフェにベビーカー子連れの方に対する批判や、某ドーナツ店へ子どもがいることに対しての批判など、「子どもは自分で勝手につくったんだから、静かにできないなら責任は親が取れ。」といった強い言葉に疲弊していました。
本当にそうなのでしょうか。そういう批判をする方々は自分で勝手に生まれてきて勝手に一人でお利口に育ったのでしょうか。SNSに書き込まず、その場で優しく注意することもできただろうに。
働く親への批判、働かない親への批判も幾度となく拡散され、受動的に見てはとても辛くなっていました。
本当にそうなのでしょうか。働いていても働いていなくても子どもは社会的にみんなで育てなくてはならない存在ではないでしょうか。
誰かを大切にできないほど疲弊している人々にもきっと
ちょっとした時間のコーヒーやお茶、そして自分を大切にしてくれる人に囲まれること。
これが一番有効なスライスオブライフなのではないか、そして結果として人に優しくできるようになるのではないか、
と帰りの飛行機でたくさん考えていました。
改めて、自分自身やスタッフ、そして私たちのお店の【あるべき姿】をたくさん学んだ旅行でした。

p.s
帰りの飛行機に乗る前の保安検査で、「子どもがいるんだから優先レーンに通してよ!!」と子どもを免罪符にして8人家族で優先待遇して、と迫っていた人たちみたいにはなりたくないなと、これまた色々と学んだ旅行でした。